一路一会
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笠間
かさま
笠間稲荷の門前町・笠間藩牧野氏8万石の城下町
茨城県笠間市笠間
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構成:商家・町家・酒蔵・旅館
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駐車場:有
笠間焼や笠間稲荷で知られる笠間は、日本三大稲荷の一つに数えられる笠間稲荷の門前町でもあります。笠間稲荷は寛保3年に井上正賢によって造営され、祈願所として牧野氏にも引き継がれます。
幕末から稲荷信仰は庶民にも広がり、参詣客の増加に伴って神社の周辺には商家が立ち並び、門前町として発展していきました。そうした笠間稲荷周辺には今も、旅館や酒蔵を始めとした古い街並みが残っています。
中世より宇都宮氏の支流である笠間氏がこの地を支配していましたが、戦国期の豊臣秀吉による小田原攻めの際、笠間氏は小田原北条側についたため、本家ながら秀吉に従った宇都宮氏によって滅ぼされます。その後宇都宮氏の家臣である玉尾氏がこの地を支配しますが、徳川家康の時代になると宇都宮氏は改易され、替わって浅野氏が笠間に入封しました。
この浅野氏はこの後赤穂へ移り、江戸城松の廊下にて刃傷事件を起こし、「忠臣蔵」で知られる騒動で取りつぶされてしまいます。
浅野氏の後、笠間藩はめまぐるしい領主変遷の末、日向延岡より入封した牧野氏からようやく安定し、以後9代続いて明治を向かえます。
2代藩主牧野貞長の時代、貞長は寺社奉行や大阪城代、家老など幕府の要職を歴任し続けた為に、笠間藩の経営がおろそかになり、天災や年貢で藩内は疲弊してしまいました。その為、3代藩主牧野貞喜は幕政に一切関わらず、藩政改革に専念します。
この時期に久野半左衛門が近江国の信楽から陶工を迎えて「笠間焼」を起し、藩主牧野貞喜もこれを奨励。6カ所の御用窯を建設し、今に続く笠間焼きの礎を築いたのです。
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笠間の酒蔵
清酒
「波山松緑」
笹目宗兵衛商店
茨城県笠間市笠間1339
0296-72-0021
清酒
「東海」
武藤酒類醸造
茨城県笠間市笠間1180
0296-72-0008
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