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筑波山は筑波山信仰と共に江戸幕府の手厚い保護を受けていました。筑波山が江戸城のちょうど鬼門にあたる為に幕府の祈願所となり、真言宗知足院には幕府より500石が寄進され護持院領となります。それ以後、領内の集落は門前町へと発展し、西山・東山他多くの町や宿坊が成立しました。門前町には旅籠や小間物屋の他大工・建具屋・屋根屋など寺社のメンテナンスに欠かせない職人町も整っていました。
ところが明治になると、寺社は廃仏棄釈令によりじ筑波神社となります。
西山と東山は筑波山の参詣客の宿場で、東山には昭和期まで茅葺きの曲家形式の民家が並んでいましたが、今はなんと一件も残っていません。
ちなみに曲家形式は東北地方に見られる「曲家」とは違って、L字の部分は馬屋ではなくすべて居住部・宿泊棟でした。
西山は山の急斜面に開かれた宿場で、一直線に麓の北条まで伸びる参道は度を超した急勾配です。近代的な住宅地に姿を変えつつある東山に対して、この西山は武家屋敷を思わせる伝統的な佇まいの屋敷群が急勾配な斜面に立体的に立ち並び、筑波山麓を見下ろす独特な町並みの景観を維持しています。 |
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