筑波山南西麓の筑波山西参道沿いには、参詣者相手に農間余業で諸商売を行っていた半農半商の街道集落がいくつかあります。沼田もその一つなのですが、この集落が他の集落と異なるのはその生い立ちです。
沼田が大きく発展するのは、大正7年に筑波鉄道筑波駅が開設されてからの事。古くから筑波山麓で参詣客相手に半農半商の生活で発展していた集落は、鉄道の開通によって衰退の一途をたどる事になったのですが、沼田にはその筑波鉄道の駅が造られた為に、筑波山への表玄関としての役割を偶然にも他から奪う形で発展したのでした。
ところがその繁栄も1987年の筑波鉄道廃によって終止符が打たれます。
筑波駅は路線バスのターミナル「筑波駅」と変わり、線路跡は岩瀬土浦自転車道つまりサイクリング道に姿を変え、華やかし頃の遺構として残されています。
沼田には、往時を偲ばせる建物が多少残されていますが、農村地帯を筑波山方面に行くと筑波山神社の御神酒でもある沼田の地酒「男女川(みなのがわ)」の稲葉酒造場があります。江戸時代末期操業のこの蔵には敷地内の池と白壁の土蔵、この地の名主を思わせる母家など、伝統的な建物が集まり、その一部は酒蔵ギャラリーとして公開されています。
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