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  結城
ゆうき
 結城紬で栄えたの商家と酒蔵の街並み
 茨城県結城市結城

 構成:商家・土蔵・酒蔵  駐車場:なし
 
 

茨城県の西端にある結城の町は、古くからの名産である高級絹織物・結城紬の産地として知られています。この地域は古来から織物の産地であり、古代人の衣服の材料である木綿木(ゆうき)が生い茂っていたことから結城の名が付いたと言われます。

結城はまた、戦国時代から江戸時代にかけて名門として知られた結城氏の城下町でもありました。結城氏は
南北朝時代に源頼朝の家臣である結城朝光に始まります。その後の結城氏は戦乱の世を経て幾度もの断絶の危機に見舞われていました。秀吉の時代になると無嗣断絶の危機にあった結城家は徳川家康の二男で豊臣家の養子となっていた秀康を継嗣に迎えて10万1000石の大名家として存続します。結城秀康はその秘めた才能から、豊臣秀吉だけでなく実父の家康からもその存在を疎まれ、策謀に翻弄されながら、時には暴君、時には悲運の大名として歴史に度々登場します。
結城秀康はその後67万石で越前北庄(福井)へ移り、一門筆頭の越前松平家の祖となりました。

結城紬は室町時代からすでに地場産業となっていましたが、江戸期に代官伊奈忠次が信州上田より織工を招いて品質の改良を図り、藩は結城紬を保護奨励しました。
寛永年間には紬問屋は10軒にも及び、さらに酒造家など多くの豪商も現れ、この地域で最も栄えた商業の町へと発展します。

結城の街並みは、結城紬で栄えた町として保存の動きが見られますが、すでに櫛の歯が抜けたように建物は点在している状態です。しかし残された建物は非常に重厚な佇まいで往時の繁栄ぶりを伺わせます。これら結城の伝統的な建物の大半は、明治初期から大正期にかけて建てられたものです。

結城には2軒の酒蔵がありますが、東京でも有名な「武勇」の酒蔵は町の中心部にあります。建物は伝統的な酒蔵を継承しているものの、中堅メーカーらしくリニューアルされ、新旧の酒造施設が同居しています。
もうひとつの結城酒造は武勇のすぐ近くにあるのですが、こちらの酒蔵はかなり歴史を感じさせ、建物自体もかなり老朽化が激しく、この先どうなるのか心配でした。
しかし、この建物は安政年間に建てられたもので登録文化財に指定されました。


 
 
茨城酒を代表する武勇
登録文化財の結城酒造
結城の酒蔵          
清酒 「武勇」
武勇 茨城県結城市結城144 0296-33-3343
 
清酒 「富久福」 結城酒造 茨城県結城市結城1589 0296-33-3344