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栃木県東端に位置し茨城県と接する茂木は、本田技研工業のサーキット「ツインリンクもてぎ」によってその名が全国に知られる町ですが、実際に町の位置を知っている人は多くありません。茂木町には古くからの諸街道(現在も国道や地方道)が集中する要衝である事は一目瞭然で、さらに真岡鉄道の終点駅もあるので、臭いを感じてこの町を訪ねました。
中世にこの一帯を支配した在地領主茂木氏は、鎌倉幕府滅亡の際に後醍醐天皇に付いて勢力を伸ばし、那須家の内紛につけ込んで那須氏を乗っ取る事に成功します。
さらに戦国期を佐竹氏に付いて乗り切ったものの、関ヶ原の戦い後で佐竹氏と共に秋田へ飛ばされ、400年の伝統をあっさり失ってしまいます。
江戸時代の茂木は外様小藩・細川氏1万6000石の城下町として発展しましたが、藩主の参勤交代の都合上、江戸に近い常陸国谷田部の飛地領に藩庁を移転したため、代官の陣屋が置かれ、以後は在郷町として再出発しました。
名は知れていますが、その場所は栃木県最奥の町と言っても良く、良くも悪くも近代化から取り残されたために、町には意外なほど古い街並みが残っています。
西へ宇都宮街道、東へ水戸街道、北へ烏山街道、南へ笠間街道と茂木は交通の要衝を果たし、さらに那珂川の水運も抱え、茂木宿とも称されるほどに繁栄しました。
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