佐野の町は喜多方同様に佐野ラーメンの聖地としてその名が知られています。
人口約8万人の町にラーメン店が実に200軒以上あるのです。トンコツこってり系全盛の時代にあって、澄んだスープと青竹打ちの麺が佐野ラーメンの特徴です。
ラーメンの話しはこれくらいにして、佐野は歴史の古い宿場町であり、近世は城下町として栄えた町です。
足利一族の庶流だった名門佐野氏はやがて途絶え、関東に攻め込んだ北条氏によって佐野氏が再興されますが、秀吉によって北条氏が滅亡すると再び存続の危機を迎えます。江戸時代になると宇和島藩富田家より養子を迎え、3万9000石の佐野藩が成立しますが、幕府内部の政争により佐野藩はお取り潰しとなってしまいます。
以後佐野藩は譜代大名堀田家が1万6000石で入封し明治まで続きました。
一方、日光例幣使道が通る佐野城下には2つの宿場町、天明宿と犬伏宿が設けられました。佐野市本町の裏手にある天明町のあたりが天明宿で、その歴史は古く「東山道」の宿駅としての記録もありました。
家康の遺骨が日光に改葬されると、旧街道筋は「日光例幣使道」と位置づけられ、幕府道中奉行の管轄として本格的な宿場町に整備されます。
天明宿は天明町と加宿の小屋町を合わせた呼称で、本陣は小屋町にありました。
古い街並みはこれら宿場町や旧町人町の名残が残る地区に点在しています。中でも天明町・大和町・金屋仲町には塗籠造りや土蔵作りの重厚な商家や町家が残り、その多くが現在も店舗として使用されていました。
現在のメインストリートである本町・大町には卯建の上がる商家が見られますが、多くが看板建築に埋もれています。
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