越前最南端の町今庄は、古来から北陸と京または越前と若狭を結ぶ北陸道の玄関口として栄えた宿場町でした。物資の大量輸送のルートとしては敦賀から海運で越前海岸の河野浦へ入り、西街道で越前内陸部へ運ぶ方法もありましたが、陸路では険しい山越え行わなくてはいけませんでした。
古代官道・北陸道はその後「西近江路」に引き継がれ、敦賀から木ノ芽峠を越えて越前に入りました。現在の国道476号線に相当します。やがて戦国期に北ノ庄(現在の福井)城主柴田勝家が織田信長の安土城参勤の為に最短ルートである滋賀県余呉から栃ノ木峠を越えて福井に入る北国街道・東近江路を整備しました。
この二つの街道が合流する場所が今庄であり、集落は活気に満ち、次第に宿場町の機能を有していきました。
本格的な宿場町として公認され整備が行われるのは江戸時代に入ってからで、旅籠は55軒の他m茶屋や問屋が軒を連ね、豊かな水資源に恵まれて造り酒屋は15軒を数えました。
現在今庄は約1kmにわたって旅籠や商家、本陣、脇本陣など、往時を偲ばせる町並みが残されています。比較的年代の新しい建物も多いのですが、袖卯建を上げている為め町並みにうまく溶け込んでいます。そして豊な水源を持つ今庄には、今も4軒の酒蔵が残り伝統の味を守り続けています。それぞれの酒蔵は異なった水源を持ち、それが醸し出される酒に個性を出しているといいます。
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