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  敦賀
つるが
 古くから栄えた若狭最大の国際商港
 福井県敦賀市相生町

 構成:商家・町家・酒蔵・西洋建築 ■ 駐車場:なし
 
相生町の敦賀酒造

敦賀湾はU字型に入り込み断層の陥没によって水深は深く、敦賀半島が季節風を遮る天然の良港であり、古くから近畿と北陸をつなぐ要衝として、また大陸との玄関口として栄えてきた国際商港でした。8世紀にはすでに外国人が滞在する「松原客館」が置かれていました。
江戸時代に入ると福井藩領、その後小浜藩領となった時期に計画的な町立が行われ市街地が拡大。市街は笙ノ川と児屋川で三地区に分けられ、東側には漁師町と遊女町、中央には海運業や商人・職人、魚市場、西側には問屋町と藩の役所が置かれました。敦賀はこの時期すでに在郷町を遙かに越えた都市の規模になっています。

しかし、北前船の西廻航路が開かれ、北日本・北陸諸国からの物資が大阪方面へ直送されるようになると、敦賀の役割は失われ町の衰退は急速に始まりました。
敦賀に再び景気が訪れるのは明治に入って鉄道が開通してからの事。さらに日露戦争後にシベリア鉄道が解放され、東京ー敦賀間の国際列車が運行すると敦賀は再び国際都市、ヨーロッパへの玄関港として栄えました。
戦後は再び衰退の一途を辿り、いぜん若狭最大の都市ではありますが、かつての役割はすでに無く、町を発展される打開策として原発誘致に活路を見いだします。
やがて京阪神の電力消費を一手に支える、世界に類を見ない規模の原発集中地区となりました。

敦賀の市街地は戦火によって大部分が消失し、古い街並みはほとんど残されていませんが、相生町にある敦賀酒造の周辺に伝統的な商家の街並みが見られます。
ここから少し先に建つレトロな洋風建築は現在敦賀歴史民俗資料館となっている昭和2年に建てられた旧大和田銀行本店です。この建物は長崎の香港上海銀行、京都の西陣会館とならぶ昭和初期三大建築物の1つと言われています。


 
 
旧大和田銀行本店
敦賀の酒蔵          
清酒 「福寿杯」 敦賀酒造 福井県敦賀市相生町21-10 0770-22-2144