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小松の南近郊に今江町があります。今江は古くから北国街道に沿って開けた集落で、加賀の三代藩主前田利常が小松城に隠居していた時代には、家中屋敷も置かれおり、
また加賀藩と大聖寺藩が接する地でもあるため、荷物改番所も設けられていました。
今江6丁目にある城山公園と隣接する今江小学校の敷地が、中世に今江城とも呼ばれた御幸塚城の城跡です。築城の時期は定かでないものの、室町時代の加賀国守護であった富樫氏の支城のひとつとされています。戦国時代には織田信長の前線基地である大聖寺と対峙する一向一揆勢の城となりました。その後、江戸時代になると廃城となり、加賀藩の収納蔵や作倉蔵として利用されていました。
今江町とその西側の小松空港との間だに広がる、見るからに干拓水田地帯である拓栄町は今江潟を干拓して造られたもの。かつての今江潟は国鉄北陸本線が開通するまでは小松・加南地方の重要な連絡水路であり、大小の荷船が行き交っていたといます。
今江町は東の木場潟と西の旧今江潟の二つの潟に挟まれています。この二つの潟を結ぶ連絡水路の前川沿いには、たくさんの土蔵が建ち並んでいます。
この地域は江戸期から稲作のほかに養蚕も盛んで、近年は撚糸業を軸にした織物産業が中心になります。地域最大のメーカーである帝人加工糸がその中心工場です。ちなみに「撚糸」とは細く弱い生糸を束ね、撚りをかけて丈夫な一本の糸へと加工すること。養蚕農家で作られた生糸を製品に加工する町として、かつては多くの撚糸工場があり、その繁栄した時代の面影が今もなお随所に残されていました。
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前川沿いに土蔵が建ち並ぶ |
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豪商の屋敷も多く残る |
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