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  金石
かないわ
 加賀100万石の港町として栄えた町
 石川県金沢市金石西1.2.3

 構成:商家・町家 ■ 駐車場:なし
 
 

加賀100万石の城下町に最も近い港町に、古い町並みの臭いを感じ、金沢港の北部を占める、醤油味噌醸造の大野町に続いて南部の金石地区を訪ねました。
金石は古くは大野湊と呼ばれ、近世には宮腰町の名から宮腰津と称された港町で、藩権力を背景に、金沢城下以外で唯一の「町」としてあつかわれた集落でした。
藩政時代は宮腰奉行の支配下におかれ、金沢城下と宮腰津を結ぶ直線道路の宮腰街道(金石往還)も建設されるなど、往時の繁栄ぶりがうかがえます。
権力に支えられた宮腰は、発展に伸びなやむ隣りの大野村と犬猿の仲であり、しれは
大野村が町に昇格したことから入港権を巡り激しい紛争が起りました。これにより加賀藩は両村の合併を持って和解させようとし、「金石之交」の諺をとって金石と改名したとあります。

宮腰津に限った事ではありませんが、廻船業を営む多くの豪商集団は藩債の一部を負担するかわりに独占的な特権を得て富を蓄積していきました、しかしあまりに藩権力と密接に関わっていたために、藩の権力闘争に巻き込まれ没落する商人も多くあり、さらに幕末明治の廃藩と、明治新政府の保護を受けた海運会社との競争のなかで衰退を余儀なくされてしまいます。さらにわずかな海運業自体も国鉄北陸本線の開通やその後のモータリゼーションの発展によって終焉を迎え、現在はごく小さな漁港としてその長い歴史を語り継いでいます。

町のメインストリートんは廻船問屋を思わせる塀に囲まれた大柄な屋敷型邸宅も見られるものの、全体としては迷路のように入り組んだ漁師町的な佇まいで、最盛期の面影はありませんでした。