日本海に面した黒島町は、曹洞宗大本山総持寺門前町の表玄関であるとともに、江戸時代には幕府直轄の「天領」の湊として北前船が寄港する、日本海の要港として盛況を極めた港町でした。最盛期には400軒もの戸数があり、総持寺御用の森岡屋をはじめとして多くの海の豪商ともいえる廻船問屋が軒を連ねていました。
黒島は平地がほとんど無く、集落は傾斜地を利用して立体的に形成されています。
近年の黒島は、県の文化財にも指定されている大廻船問屋の角海家邸をランドマークとして観光客が訪れる集落でした。
しかし、2007年3月25日。マグニチュード6.7の能登半島地震はこの黒島にも甚大な被害を及ぼし、先の大廻船問屋角海家邸もまた崩壊の危機に瀕しています。
いま、黒島を歩くと2トーンカラーの家並みが続きます。これらはさきの大地震で半壊した建物を復興したもので、まだ若々しい木地を露わにした修復部分は、かえって痛々しさを感じさせます。
個人の住宅が優先的に復興されるなかで、門前町中心部のように寺院や文化財レベルの建物は後に回されているようです。角海家邸もまた、倒壊を支える仮説の補強材を交ったまま放置されている姿は、地震の深刻さを静かに物語っていました。
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