能登半島の中央部、邑智地溝帯西端の都市、羽咋市の東郊外。国道415号線と159号線が交差する付近に飯山町があります。「いいやま」ではなく「いいのやま」と呼ぶこの町は古くより、飯野山川の扇状地に形成された半農半商の集落であり、また2つの街道が交差する宿場町でもありました。
飯山の歴史は古く、南北朝時代にはすでに宿場があったといいます。
江戸時代、加賀藩前田家が整備した七尾街道東往来(内浦往来)と越中街道の追分け宿として賑わいました。交通の要衝として高札場や問屋場が置かれていましたが、交通量自体はあまりなく、伝馬肝煎を兼務した村役人が臨時の本陣を務めていました。
明治33年、七尾鉄道が地溝帯の西側に開通してから、飯山宿は衰退します。
現在国道の整備と合わせ宅地化が進んでいます。国道の東側に残る旧道沿いにはまだ伝統的な家並みが、わずかながら残されていました。いずれも現役で商店を営んでいるのが特徴です。
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