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  福野
ふくの
 東西南北に街道と鉄道が交差した市場町
 富山県東砺波郡福野町福野

 構成:商家・町家・洋風銀行建築 ■ 駐車場:なし
 
 

砺波市の南に接する福野町は、南砺地方における交易の中心地として発展してた市場町でした。この地域は古来、野尻郷と呼ばれ、その中の集落の一つである「野」と呼ばれた場所が現在の福野町の中心部で、地名の由来は江戸期の町立ての際、野に福がある事を念願して付けられたと伝えられています。

当時から野尻野の追分けと呼ばれた交通の要衝であり、福光と高岡、井波と今石動をそれぞれ結ぶ街道が東西南北に交差していました。慶安3年(1650年)この地に町立ての許可が下り、福野町が誕生。市の日を2と7の日に定め、市場の発展を通じて町が形成されました。現在も朝市の他、12月27日に開催される”大歳の市”がその名残として続いています。

福野町の各戸は奥行が25間で間口は平均5間に統一され、開町時は57軒、翌年には64軒に発展しました。ところがその翌年の大火で町は全焼。復興に燃える町民によって町ははたちまち再生。その後の戸数は実に450軒を越えるまでに急成長しました。
町立ての時に、伊勢から分霊を勧請した神明社を、町民が手に手に行灯をもって祀った事から始まった、夜行祭は今も毎年5月初めに開催され、大勢の観光客を集めています。

古くから街道が東西南北に交差する福野町ですが、明治になると、高岡ー城端間の中越鉄道(現JR城端線)が開通。さらに大正期には庄川町青島と小矢部市今石動を結ぶ加越鉄道加越線が全通し、十文字に鉄道が交差するターミナルとして栄えました。しかしその後、鉄道は急速に衰退し、加越鉄道の経営は富山の私鉄を点々として、昭和47年( 1972)ついに全線廃止となります。現在その線路の跡地は、ほぼ全線が自転車専用道路になっています。

南北の街道沿いに商店街が形成されている現在の福野町には、JR城端線沿線に残るかつての在郷町・宿場町の中では比較的多くの伝統的な建物が残されていました。
他の町の例にもれず、寂れた中心部となっていますが、どうも町によって古い建物の修復保存がなされているようです。中でも無住となった町家は、町が譲り受けて町かどギャラリー「市の里」として利用され、公開されています。

 
 
 
富山第一銀行福野支店