一路一会>古い町並と集落・北陸>富山>五箇山 | ||
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落人伝説が残り、加賀藩の流刑地だった合掌集落の里 | ||
富山県東砺波郡平村相倉・上平村菅原 【富山県南砺市相倉・菅原】2004年合併 | ||
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冬の平村の相倉集落 |
山深い東砺波郡の山中、岐阜県との県境に接する平村・上平村・利賀村の一帯をさして「五箇山」と呼びます。麓の砺波平野に開けた町、城端や福光とは直線距離では目と鼻の先ですが、五箇山にたどり着くには、いくつもの険しい山や谷を越えていかなければなりませんでした。ゆえにこの地にも古くから平家の落人伝説が語り継がれてきました。また年の半分を下界から閉ざされた豪雪地帯の五箇山は、はるか昔から厳しい生活を強いられてきました。藩政時代には加賀藩の流刑地として橋を架けることさえ許されない隔絶された村で、集落を分断する川はロープに籠で渡らざるえない環境で生活していました。 明治になってようやく橋が建設されますが、平野部と本格的な道路で結ばれるのは昭和のダム建設が始まってから。重機や資材、ダンプが通る広い道が建設されました。さらに現在「東海北陸自動車道」が開通、かつて険しい峠を越えて行き来した城端とはわずか数分で結ばれるようになりました。 切妻型茅葺き合掌民家で知られ岐阜の白川郷とならんで観光客に人気のある五箇山ですが、この合掌造りの多層民家は明治以降に生まれた新しい形態です。 養蚕業が全盛の時代に、上層は作業場として造られ採光の為に切妻の合掌造りになりました。 五箇山集落は規模では白川郷に譲りますが、平村の相倉集落、上平村の菅原集落ともに隔絶されたコロニーであり周辺の自然と一帯になった風景は、自己完結し完成されたものとなっています。 |
夏の相倉集落 |
冬の上平村の菅原集落 |