井波には精巧な彫刻で有名な瑞泉寺があります。古くは越中における本願寺系浄土真宗の拠点であり、およそ370もの寺院を支配した名刹でありました。 強大な勢力を誇った一向宗王国でしたが織田信長の武将佐々成政によって滅ぼされ瑞泉寺も焼かれていまいます。 時を経て江戸時代に入り、加賀藩主前田利家は瑞泉寺を再建しますが、その後も幾度もの火災に見舞われ、その度に井波の名工達によって甦りました。 井波はその瑞泉寺の門前町です。山門から伸びる八日町通りには彫刻の店が軒を連ねます。井波の彫刻は瑞泉寺再建のため京都より招かれた宮大工に始まり、加賀藩の特例政策と幾度の火災に見舞われた瑞泉寺の再建によってその技術が磨かれていきました。 八日町通りから一歩裏路地に入ると、蔵が建ち並び、茅葺きの庵があったりと、表通りとはまた違った景色が残されていました。