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  六渡寺
ろくどうじ
 庄川河口にひっそり残る小さな港町
 富山県新湊市庄西町1(大字六渡寺) 【富山県射水市庄西町】

 構成:商家・町家・酒蔵・武家屋敷・土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

新湊市と高岡市の境界地であり、庄川と小矢部川に挟まれた細長いデルタの先端部に庄西町(しょうせいまち)言う名の地区があります。
この地域は遙か昔には伏木の一部であり、伏木に置かれたとされる古代越中国府はこの場所ではないかとの説があります。中世までは庄川河口の港・河渡地で軍事・交通の要衝であり、江戸期には加賀藩の河北七浦の一つとして栄えた六渡寺湊として知られます。能登方面と高岡を結ぶ物流拠点、さらに北前船の寄港地として栄え、六渡寺湊町、新湊六渡寺村とも称していました。しかし当時から小さな湊であったようで、船舶の入港数が町の盛衰を左右しまた。また船舶の保有数も制限を受け、長く隣接する伏木の下請け的な扱いを受け続けます。しかしそれでも幕末には渡海船を300隻保有する黄金期を迎えていました。


六渡寺は現在の庄西町1丁目で、庄西町2丁目付近は中伏木と呼ばれていました。庄西町は両町の新湊市編入時につけられた地名で、庄川の西岸に位置していたことから名付けられたと思われます。六渡寺はしばらくは大字として使われていましたが、現在は万葉線の駅名に六渡寺という地名がかろうじて残されています。

六渡寺の入口であり、万葉線の六渡寺駅前に建つ西洋建築は国の登録有形文化財に登録された、地元の建設会社「牧田組」の社屋が目を引きます。この牧田組本社の横の道を富山湾に向かって進むと旧六渡寺の町並みに遭遇します。

当初は事前の調査からも漏れ、かすかな”臭い”はしたものの、訪問の予定には入っていませんでした。しかし、先の有形文化財である牧田組社屋に目がとまり、さらにそのはるか奥に見えた松林と寺院の屋根が、直感を刺激した為に、偶然にも見つけることになった町並みでした。


 
 
 
国の登録有形文化財である牧田組社屋