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東海道で2つだけ残る一つ二川宿本陣馬場家
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浜名湖のほど近い豊橋市二川町。この町はかつて旧東海道53次の宿場町の一つ二川宿で、現在東海道筋でも稀少な本陣が残されている事で知られています。
本陣馬場家は現在「二川宿本陣資料館」として門や主屋が現存し、一般に公開されています。この他東海道筋で本陣が残るのは滋賀県草津宿の本陣田中家だけとなります。
慶長6年に施行された東海道宿駅制でははじめ二川村・大岩村の2村で一宿分の業務を分担していました。しかし早くも疲弊を理由に吉田藩(豊橋)から幕府領へ支配替えが行われ、正保元年、二川村を西方の大岩村地内(現在の二川町)へ移転させ二川宿が成立。大岩村は加宿とされました。本陣1軒・脇本陣1軒・旅籠屋30軒・問屋場は二川宿と大岩加宿に各1軒が置かれました。
明治以降、国道1号線が梅田川をはさんだ南岸をバイパスし、東海道本線の駅も西に離れた大岩町に開設された為に、二川町から大岩町までおよそ1kmにかけて切妻平入りの宿場町の面影を残す家並みが続いています。しかし往時の佇まいに近い姿で残る建物は本陣馬場家付近の中町から東の新橋町にかけてわずかに見られる程度です。中町にはかつて質屋を営んでした西駒屋に旧旅籠屋で現在はたばこ店の晴明屋、新橋町に入るとかつて本陣職も務めた紅林醤油に東駒屋など醸造業の屋敷が見られます。なかでも街道が折れ曲がっている「曲尺手(かねんて)」と東駒屋の風景は二川宿の撮影ポイントとなっています。
現在豊橋市では住民が手放される建物を買い取って修復保存していく事業が進められていると聞きました。ただしどのような形で保存公開されていくのか、非常に興味があります。
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新橋町の曲尺手と東駒屋・本陣前の西駒屋は分家 |
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