知多半島東岸の港町半田は今や全国シェア6割を占める”ミツカン(中埜酢店)の城下町”として知られています。知多地方では古くから酒造が盛んでしたが、水質の悪い半田で本格的に酒造業が始まるのは江戸期に入ってから。有力な醸造家が共同出資で私設水道を建設、近隣の良質な水が湧く井戸から水を引いて酒造りを行いました。
酒質としては灘(兵庫)の酒に劣るものの、半田が江戸に近かった為に新酒が灘よりも早く消費者の手に届き。知多酒は生産量を拡大していきます。酒造業の最盛期には亀崎を合わせ70軒を上回る酒蔵がありました。この時、酒造りの副産物として生まれた大量の酒粕。これを酒造家の一人、中野又左右衛門が粕酢醸造に成功します。そしてそれは、同じ頃に江戸で普及しはじめていた「寿司」との相性が良く急速に人気を博しました。寿司の普及により半田の酢は全国に知れ渡り、現在のミツカンの基礎が造られたのです。
伊勢湾や知多半島には黒板塀の街並みが多く見られます。ここ半田の運河沿いにはミツカンをはじめとする酢造・酒造工場郡はみな黒で統一されており、その風景は圧巻。商家や町家などの街並みはほとんど見られませんが、水辺の黒蔵群だけでも十分見る価値があります。
酢は酒造りの副産物として生まれましたが、清酒醸造の伝統も引き継がれ、ミツカングループの一つ「国盛」中埜酒造もこの近くにあります。
|