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  清洲
きよす
 尾張の首都から一転宿場町に替わった町
 愛知県西春日井郡清洲町清洲 【愛知県清須市清洲】2005年合併
 構成:商家・町家・酒蔵・土蔵 駐車場:なし

 
織田信長の城下町とて歴史のその名を残す清須城は彼の功績によってたちまち尾張の中心へと発展しました。秀吉の時代には甥の関白秀次が城主となりましたが、家康の時代になると「水攻めに弱い」という理由から名古屋への移転が行われます。
これを”清須越し”といい、城に加え寺社や町名・橋にいたるまで城下町の全てがごっそりと移転する壮大な事業であり、これほどまでの首都移転は他に例が無いと言われています。
この清須越しによって廃墟となった旧城下町は、さらに運悪くその直後に襲った台風による洪水によって壊滅してしまいます。しかし、わずかに残った住民によって新田開発が行われると共に、関ヶ原の戦い後、家康が凱旋した美濃路は「吉例街道」とも呼ばれ単なる脇往還ではなく、将軍の上洛をはじめ朝鮮通信使も利用する公道として重点的に整備されます。
この美濃路が通る旧清須城下町は伊勢街道の追分けとしても重要な宿場町に発展していきます。本陣・脇本陣に加え代官所も置かれていました。清須宿は当初北市場(現在稲沢市にまたがる北市場町)にありましたが、寛文8年の火災によって焼失し神明町(現在の清洲)に移転しました。やがて神明町を中心に町場は拡大。本町の清須桜酒造周辺から旧美濃路である県道に沿って往時を偲ばせる町並みが残されています。
しかし清洲の古い町並みは最初の宿場が置かれた北市場付近に多く残されていると後で知り、それを訪れなかった事が悔やまれるので、また日をあらためて訪れたいと思います。
旧称本町の町並み
 
清洲の酒蔵          
清酒 清洲桜 清洲桜醸造 愛知県西春日井郡清洲町大字清洲1692 052-409-2121