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  三河赤坂
みかわ あかさか
 東海道三十六次之宿場町
 愛知県宝飯郡音羽町赤坂
 構成:商家建築・旅籠建築  駐車場:なし

赤坂の建物の多くは「東海道宿場町」を掲げている

赤坂は中世東海道時代からすでに宿場町の形態が整っており、当時の文献にも遊女や雑芸人が集う場所として記されています。
慶長6年、東海道の宿駅制が施行されると同時に赤坂村は江戸期を通じて幕府直轄地となります。この宿駅制の際、赤坂は隣りの御油宿とともに2駅で1駅分の業務を分担するように命じられました。これは2つの宿がわずか16町(約1.6km)と距離が短く、助郷への負担を軽減する為だと思われます。人馬次ぎ立ての業務は上りと下りでそれぞれ分担を受け持ち合いました。
本陣3軒・脇本陣1軒・問屋1軒・旅籠60余り。旅籠屋の大半は飯盛女を抱え、隣りの御油宿とともに遊興の宿場として栄えたといい、俗謡にも「御油に赤坂・吉田がなくば、何のよしみで江戸通い」と謡われてます。

現在も赤坂に残る旅籠「大橋屋」の建物は正徳5年(1715)ごろの築と言われ、現在も現役の旅館です。このほか築年数の古い伝統的な旅籠形式の町家がいくつも残されています。多くが「東海道赤坂宿」の標識を掲げており、隣りの御油に比べると住民自ら宿場町の面影や歴史を保存していこうという姿勢が感じられました。