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三河湾に面する蒲郡市。その地名は意外に新しく、明治8年に蒲形村と西郡村が合併した際、それぞれから1文字を取って生まれた名です。
その後の幾度もの合併によって市域が広がりましたが、かつての中心は現在の蒲郡市の西部地域でした。江戸期には徳川親藩である深溝松平家や形原松平家、旗本西郡松平家などの陣屋町が集まっていました。
今回紹介する三谷は、蒲郡市東部の港町で、明治期以降の古い町並みが所々に残されています。
三谷は江戸時代から栄えていた湊でしたが、多くは農間漁業であり、海運業の方が主体で、譜代親藩や旗本領を顧客に、年貢米を江戸へ運ぶ業務を担っていたようです。
幕末頃からは、織物業へと転換して三河木綿の産地となりますが、それも長くは続かず、やがて海水浴場を中心に観光産業へシフトしていきます。温泉も運よくあちこちで掘削され、旅館や商店が立ちならび、観光都市へと発展。しかし大正期から昭和初期までのピークを最後に、現在はやや下火になっている感じで、海岸部の国道沿いに軒を連ねる「鰻の寝床」型の家並みや商家建築などは、まさにその時代で時計の針が止まってしまったかの印象をあたえます。
しかし、蒲郡は中三河の中心都市である事には変わりはありません。
蒲郡港は県下屈指の港となり、M8クラスの大震災にも耐える設計で、大災害時における三河地区の物資陸揚げ基地の任務も担っています。
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