知多半島の付け根にある知多市の岡田地区は、江戸時代に農村の副業として始められた綿花栽培の一大産地として栄えた町並みが残されています。
岡田は「知田木綿」誕生の地ですが当初はまだ製品化の技術が無く
、原材料である綿花を対岸の伊勢に運んで加工し「伊勢晒し・松坂晒し(さらし)」のブランドで販売していました。しかし、岡田の中島七右衛門によって伊勢晒しの技術が持ち込まれ、原産から加工まで一貫して生産することに成功します。
木綿買継問屋となった中島家と竹之内家により「知多木綿」の名は確立され、全国へ販路を広げました。
明治に入ると動力織機の導入により岡田は知多木綿生産量の7割を占めるほどに成長しますが、やがて国内繊維産業の衰退によって岡田の繁栄も幕を下ろします。
現在岡田は「木綿の里保存会」の活動によって守られ、豪商竹之内家の屋敷周辺の石垣と黒板塀の風景を始め中小商家や土蔵など往時を偲ばせる街並みが街道沿いに残されています。
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