東海道鳴海宿や有松の南側に大高町があります。ここを訪れた理由は近年急速のその名を高めている日本酒「醸し人九平次」の萬乗醸造の酒蔵が目的でした。
大高町は古くは火高と呼ばれていましたが、永徳2年(1382)の火災を期に大高の地名に改めたと言われています。古くから知多半島や東日本へ通じる交通の要衝として開けており、江戸期には農商兼業が多く酒造業の盛んな地域で、大高焼という陶器も焼かれていました。現在の大高町も交通の要衝として幹線道路や高速道路・鉄道が縦横に走り、さらにベッドタウンに加え準工業地帯として往時の面影などまるで無いかに思われましたが、一歩足を踏み入れると狭い道が複雑に入り込んだ中世城下町の町割りがそのまま残されていました。
萬乗醸造は寛延三年(1791年)創業で長く「酒望子」という銘柄でしたが、若き後継者によって平成7年度に「醸し人九平次」が生まれました。仕込み期にはほぼ毎日のペースで片道2時間以上かけて長野まで湧き水を汲みにいく。300年かけて沸いてくるというこの湧き水で少量ながら、まっすぐな酒造りを目指す。今の嗜好やマーケティングも研究し「日本のロマネコンティ」を目指すという姿勢はそのラベルからも感じる事ができました。町並みが目的では無かったのですが、萬乗醸造の酒蔵は立派な伝統的佇まいをしていて驚きました。ただ酒蔵には人の姿は無く、酒の直販もしていないようでしばらく周辺をうろうろしてこの地をあとにしました。
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