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堀川と築地町の土蔵街の風景
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ミツカン酢の町として知られる半田市の向かいに碧南市があります。かつてこの地域を碧海郡といい、その南に位置する事から碧南の名称が生まれました。現在は埋立と臨海工場地帯化が進んでいますが、古くから海上交通の要地であると共に、矢作川を介して内陸部と海路をつなぐ物資集散の要衝として栄えていたのです。
大浜の農家では早い時期から農商化や兼業化が進んでおり、綿作をはじめ瓦業や製塩業などに従事する者が多く、やがて分農化が進んで酒造業や醤油・味噌などの醸造業が発展していきます。この地で作られた大浜塩は矢作川を遡って信州まで運ばれ、大浜酒の大半は江戸へ送られていました。大浜は三河有数の酒造地に発展し当時すでに6軒の酒造家がありましたが、現在もその多くが生き残っています。
こうした商工業化は廻船業と結びつき、商圏を広げるとともに全国各地の情報を集めることが出来るようになりました。大浜は「三河みりん」発祥の地として知られていますが、この地で味醂の醸造を始めたのが当時大浜で廻船問屋を営んでいた石川八郎右衛門信敦。現存する日本最古の醸造元と言われる九重味淋の創始者です。浜寺町に立つ九重味醂の蔵屋敷一体は大浜の町並みの片翼を担っています。
浜寺町の北東に位置する羽根町は、徳川家康が舟手要害の為に大浜に羽城を築いた場所で、その後大浜藩の陣屋が置かれていました。大浜藩は水野忠友1万3000石の陣屋町でわずか7年だけ存続した藩でしたが、領地はそのまま継承された為に陣屋は役所として幕末まで存続しています。
碧南市の酒蔵は碧南駅の東側、堀川と蜆川の挟まれた地域に集中していますが、広く分布している為移動手段が必要です。
大浜の町並みとしては浜寺町と堀川を介して対峙する築山町が知られ、黒板の土蔵街や屋敷塀の路地など古い佇まいの町並みが残されています。
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浜寺町にある日本最古の醸造元・九重味淋 |
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