神戸町は大垣市の北に接する町。町の大部分は田園地帯だが、町の中心部は日吉神社の門前町として伝統的な商家や旅籠建築が並びます。
神戸という地名は全国に数多くあり、読み方も「こうべ、かんべ」などいろいろありますが、ここのは「ごうど」と読みます。神戸とは神社領のこと。この神戸も日吉神社領に由来する説もあるそうですが、正確なところは不明だとか。
神戸は日吉神社の門前町として発達し、戦国期に稲葉一鉄により4・7・10の九斎市が開かれ、神戸市場として知れ渡りました。
古来には東山道が通り、神戸の発展に大きな影響を与えましたが。江戸時代になると中山道が町のはるか南側に整備され、町は大きな打撃を受ける事になります。九斎市のうち3回の雑市場は衰退ましたが、残る6回が尾張藩の保護により衣類市として賑わい、依然として西濃地方における物資集散の一大中心として繁栄し続けます。これには、財政難の尾張藩が日吉神社の維持費を調達する為だといわれています。
日吉神社門前の正面には「大門通九町九間」と呼ばれる幅15mの大通りが南北に延びています。現在は車道に路肩駐車スペース、歩道とかなり広い道幅で、道の両側に商店街が形成されています。
広い道は幸が訪れるといわれ、当時からこの広さでした。この大通りで毎年5月3日、4日に日吉山王祭が開かれています。この大通り沿いには、複数の伝統的商家が点在しますが、一本東側の曲がりくねった通りには、古い町並みが連続して残されていました。
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