岩村町はかつて東濃の拠点として800余年の歴史をもつ城下町であり、また悲劇の女城主の舞台となった町でもあります。
戦国時代、岩村は尾張の織田信長と甲斐の武田信玄の攻防戦の舞台となりました。
織田信長は武田信玄との戦いを有利にするため、岩村城主・遠山景任に叔母の修理(しゅり)を嫁がせます。しかし武田信玄軍の家臣秋山晴近による岩村城攻撃が始まると、時すでに城主の遠山景任は病没しており、未亡人修理が代理城主として戦う事となりました。しかし領民を戦に巻き込みたくないとの一念で、修理は無欠開城し秋山晴近と屈辱の婚姻を結びます。これに激怒した織田信長は三万の大軍をもって岩村城を攻撃し、助命の願いも空しく、修理と秋山晴近以下家臣全員を処刑。さらに兵士3,000名も全員惨殺してしまいました。
関ヶ原の戦い後は明治維新まで親藩である大給松平家が治めます。
現在約600m続く、本町通りの街並みは大給松平氏の時代に整備されたものです。
上町には岩村の酒蔵、岩村醸造があります。岩村酒造は180年の歴史を持つ老舗で地酒の「女城主」はさきの悲運の未亡人修理にちなんだものです。
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