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岐阜市の西に隣接する北方町。かつては名鉄揖斐線が町を通り、美濃北方駅が町の玄関口であったものの、同線は赤字の為に2005年に廃線となります。
現在、岐阜市の他瑞穂市、本巣市に囲まれながらも独立を通している北方町のメインストリートには、わずかながら古い商家建築が残されています。
北方はかつて、本巣郡最大の在郷町として栄えた町でした。古くは真言宗円鏡寺の門前町として始まり、江戸期は旗本北方戸田氏の陣屋町とそれを背景にした物資集散の在郷町として発展していきます。円鏡寺は江戸期を通して、北方を拠点に権勢を誇り続けました。
北方戸田氏は、岐阜加納藩7万石の2代藩主松平(戸田)光永が、弟の光澄と光直にそれぞれ5,000石を分知し、光澄は文殊(本巣町)、光直は北方に陣屋町を建設しました。北方は文殊の経済も担い、近郷地域の政治経済の中心として、より一層発展しさらに在郷農民のために月12回の12斎市も開かれました。
北方は多くの問屋が進出し、渡辺家を初めとする多くの豪商を輩出します。
岐阜加納藩の本家戸田(松平)氏は、山城国淀藩へ転封しますが、北方戸田氏は7代200年北方を支配して明治を迎えます。
明治以降も北方は本巣郡の中心として栄え続けました。しかし現在、北方は岐阜市のベッドタウンとして発展するものの、岐阜市の経済圏に飲み込まれ、町の中心街はさびれたまま、放置されているような雰囲気でした。町では最近レトロな街角作りに取り組みはじめたようですが、すでに中核となる建物や連続性は失われています。
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