美濃市は美濃和紙と「卯建」の商家群で知られています。
関ヶ原の戦で飛騨国主大名となった金森長近は美濃3万2000石を加増され、飛騨高山に入ります。その後飛騨高山城を養子の可重に譲ると、自らは上有知(こうずち・現在の美濃市)に移り小倉山城を築いて城下町を整備しました。
金森長近は上有知に紙専門の六斎市を開かせ、さらに長良川には河港をつくり物資流通・交通要所として保護発展させました。上有知は幕府領となった跡も美濃和紙の集散地として栄え紙商人が急増、城下町から商業町へと発展していきます。
しかし上有地金森氏は子に恵まれず無嗣絶家に。領地は幕府領を経て尾張藩領となります。
美濃のうだつの街並み。本住町、常盤町、相生町、泉町、魚屋町などには古い街並みが連続して残っています。美濃の卯建は本卯建とよばれ、脇町(四国徳島県)の袖卯建とは異なる様式で、隣家との境の妻壁を上にのばして小屋根を設けたのが特徴。
美濃以外でも東海各地で多く見られる様式です。特に卯建の先端には破風瓦、懸魚が付けられるようになり、これは四国同様、新しい時代ほど豪華になっていきました。
美濃ではこの本卯建をあげた商家が19棟残っており、これだけ集中して残っているのはここ美濃の町並みだけだそうです。
また、美濃の酒蔵「百春」の小坂酒造場は、この地域では珍しい「むくり屋根」造りで国の重要文化財に指定されています。
|