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  美濃高田
みのたかだ
 九里半街道の中継地として栄えた市場町
 岐阜県養老郡養老町高田

 構成:商家・町家・旅館建築  ■ 駐車場:なし
 
 

岐阜県西端の養老町。奈良時代に元正天皇が多度山(養老山)にて、若返りの霊泉
「醴泉」を発見したことから元号を「養老」と名付けた事に由来する町名で、その中心部である高田は江戸時代に九里半街道の中継地として栄えた市場町の面影をいまなお残しています。
上方の諸産物は大津から水路で米原に陸揚げされ、同じく北陸諸国の諸産物もこの米原から中山道の今須宿を経て脇道にそれ、牧田ー五日市を通って島田(現在の高田)へ集められ、揖斐川支流である牧田川の河港の濃州三湊(鳥江・栗笠・舟附)から水路名古屋や関東へと運ばれました。このルートの陸路を九里半街道と呼び、島田は琵琶湖と伊勢湾を結ぶ重要な要地でした。
濃州三湊は尾張藩の管理下にありましたが、牧田川の土砂堆積により江戸末期にはその役割を失いました。島田は明治に入って高田を改め、以後この地域の中心部として発展して行きます。
高田の中心商店街には元正天皇が発見した霊泉「醴泉」を酒銘にもつ玉泉堂酒造の旧商家を初め厨子二階に塗籠造りの伝統的様式の商家建築が数多く残されています。
また一歩北側の裏筋に入ると、遊郭を思わせる紅殻に塗られた二階建ての旅籠建築の町並みがひっそりと佇んでおり、かつての繁栄ぶりが伺えました。
現在シャッター商店街と化しつつある美濃高田の伝統的な町並みは、やがて消えゆくように思われます。


 
 
美濃高田の酒蔵          
清酒 美濃菊 玉泉堂酒造 岐阜県養老郡養老町高田800-1 0584-32-1155