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  関ヶ原
せきがはら
 今も昔も天下分け目の要衝・中仙道五十八次之宿
 岐阜県不破郡関ヶ原町関ヶ原 

 構成:商家・町家・味噌蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

天下分け目の決戦「関ヶ原の戦い」の舞台として、その場所は知らなくとも、その名は誰もが一度も耳にしたことがあるだろう。
関ヶ原は、まさに本州を西と東に分ける接点で、古くから交通・軍事の要衝であり、古代には三関の一つで東山道の「不破関」が設けられた事から「関ヶ原」の名が生まれたと言われています。

関ヶ原は、近江と美濃の国境、伊吹山地と鈴鹿山地に挟まれた地にあり、冬は伊吹おろしと豪雪に見舞われ、現在においても東海道新幹線や名神自動車道にときどき通行規制を引き起こしています。

江戸時代の関ヶ原は中山道の宿場町として栄え、それ以外にも北国街道、伊勢街道
(美濃街道)の分岐宿でもありました。町の全長は12町49間で西町、仲町、公門
町、東町からなり、仲町に本陣1軒、脇本陣1軒、問屋6軒が置かれ、旅籠屋は全体で33軒です。家数は347軒、人口は1,200人あまりの美濃16宿最大の規模を誇る宿場町をささえる助郷は近在12ヶ村にも及びました。
関ヶ原の西に中山道難所の一つ今須峠が立ちふさがります。この峠を越えた先に、美濃最西端の宿場町、今須宿が置かれました。

今須宿は関ヶ原宿を補助する宿場町で、上り荷物は関ヶ原宿、下り荷物は今須宿というように継ぎ立てが分担されていましたが、下り荷は少なく、今須宿は宿場の維持に悩まされていました。

現在、往時の宿場町の多くは幹線道路から反れた、交通量の少ない旧道沿いに残されていますが、関ヶ原宿は現在も交通の要衝である国道21号線沿いに家々が並んでいます。家々は排気ガスやホコリにまみれ、振動、騒音で建物は傷み、見るからに痛々しい町並みが続きます。また撮影も大変です。
関ヶ原の町並みを過ぎると、中山道は再び細い旧道になります。不破関跡と不破関資料館は旧道沿いの集落の中にあります。

関ヶ原の町並みの中でランドマークとなる「関ヶ原たまり」の関ヶ原醸造の土蔵街があります。交通量の多い表通りとは対象に、裏道には静かな生活感があり、諸味の香りと黒板塀の家並みが旅情を取り戻してくれました。