恵那市街から土岐方面に国道19号線を走っていて偶然見つけた酒蔵らしき建造物。
武並町竹折にある「いとう鶴酒造」を発見しました。
竹折はかつて中山道大湫宿の助郷であり、また中山道から岩村城下へ通じる大名街道が町内を抜けた農村集落でした。岩村藩主松平氏はこの道を通って、竹折から中山道に入り江戸へ向かったのです。
いとう鶴酒造は、江戸時代より続く造り酒屋。
関ヶ原の戦いで敗れた、成瀬新左エ衛門が美濃国竹折村の現在地において帰農し、味噌・醤油の製造を初め、後に酒造業へ転換したといいます。
千本格子の店蔵に白壁土蔵の酒蔵、周辺には倉庫として使われている茅葺き民家や農家の土蔵が建ち並び、その裏手には環濠が築かれ伝統的な街村風景が凝縮されて残された一画でした。
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