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各務原市の東端、木曽川を挟んで愛知県犬山市と接する鵜沼地区。名鉄各務原線鵜沼宿駅の北側に、中山道六十九次の一つ鵜沼宿がありましたが、現在もわずかながら往時の面影が残されています。
この鵜沼は古くからの要地であり古代東山道時代から宿駅が置かれ、市(宇留間市)が立ったといわれています。ただしその場所は現在の鵜沼東町・鵜沼古市場付近だったと言われています。
南北朝時代からは木曽川を利用した筏流しが盛んとなり、室町期には幕府用材や寺社用材として膨大な材木が流されました。鵜沼はそれらの中継地でもありました。
慶安4年(1651)中山道の整備にともない現在の西町・東町に鵜沼宿が移されます。
鵜沼宿は西町と東町に分かれ、西町には本陣(桜井家)・脇本陣(坂井家)、問屋場は東町・西町に各1軒づつ置かれました。旅籠25軒(大8・中7・小10)ですが農業中心の集落で専業の商家は無く、副業的な小商店だけの宿場町だったようです。
国道21号線が町場をバイパスして建設された為、旧道の交通量は意外に少なく、中央線が除かれ道の両側には小さいながらも歩道が設けられた生活道に生まれ変わっていました。残されている町並みの規模は少ないですが、危機的な要素が取り除かれた好例の一つではないかと思います。
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