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波瀬
はぜ

 本陣が残る和歌山街道の宿場町
 三重県飯南郡飯高町波瀬 【三重県松阪市飯高町波瀬】2005年合併

 構成:本陣・町家・旅籠建築・土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

現在の国道166号線は江戸時代、徳川御三家紀州藩の参勤交代路である和歌山街道と呼ばれ、明治以降は伊勢参宮路として参詣客で賑わった伊勢南街道です。
波瀬は和歌山街道が吉野から高見峠を越えて伊勢国に入る最初の宿場町で、本陣・脇本陣の他伝馬所や高札場が設けられ、旅籠屋は4軒あったと言われています。
現在も中村屋「田中家」が本陣跡として保存されている他、往時を偲ばせる町並みが残されています。
櫛田川左岸の対岸の段丘上に国道を見下ろす形で集落が形成されており、これらの町並みが宿場町の雰囲気を色濃く残しながら存続したと思われます。
この飯高町波瀬地区は一志郡にある同地名と区別する為に、俗に「川俣波瀬」とも称されます。

川俣谷地域には 天照大神が伊勢の国境を決めるときに巨石を川に投げ入れて、国境を決めたといわれる有名な「国分けの伝説」が伝えられており、天照大神が大石を川に投じで生じた波が押し寄せた場所である事から「波瀬」という地名が起こりました。

和歌山街道はその後助郷や旅籠の不足に加え、街道維持の膨大な出費に耐えられず参勤交代路から外されます。しかし、慶応4年(1868)には紀州藩主徳川茂承の夫人倫宮則子女王が、波瀬の本陣に泊まった記録が残されています。その後この街道は和歌山・吉野方面から伊勢神宮へ通じる参宮街道として明治中期まで多くの旅人で賑わったといいます。