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旧旅籠「板屋」
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上野市と津市を結ぶ国道163号線は、かつて伊賀上野から長野峠を越えて城下町津にいたる伊賀街道で、平松集落はその宿場町でした。平松宿は伊賀街道一の難所である長野峠をひかえた宿場として発達します。木津川の支流・服部川に沿って南北に、北の子延橋から南の岩之橋の約400mにかけて往時を偲ばせる街並みが残っています。
関ヶ原の戦の功績により津藩32万3000石を与えられた藤堂高虎は、居城を伊賀上野から津へ移し、上野城には上代家老を置きました。藩主が伊賀巡検の際には伊賀街道を通り、上野の城代家老は上阿波宿まで出迎えるのが通例でした。ところが上阿波宿は元禄7年に大火で消失。再建されるも再び大火に見舞われた為に、宿場を平松に移すこととが決まり、平松宿はわずか半年の期間で整備されました。
しかし平松宿も明治に入り2度の火災で焼失。現在の街並みは明治以降に建てられたものです。時代の流れと共に宿場町の役割りは失われ、今は静かな街村となりました。
平松には厨子二階塗籠造りの商家や旧旅籠など、数多くの伝統的な建物が残されていました。観光案内すらないこの農村集落に、なぜこれほどの町並みが残っているのか不思議でなりませんでした。
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