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  伊勢神戸
いせ かんべ
 伊勢参宮街道の宿場町・神戸藩1万5000石の城下町
 三重県鈴鹿市神戸2丁目・8丁目 

 構成:商家・旅籠 ■ 駐車場:なし
 
 
鈴鹿市の中心部神戸。神戸は「こうべ」ではなく「かんべ」と読みます。他の地域では「ごうど」と読む場合もあります。伊勢を冠しているのは、全国に「神戸」の地名がたくさんあるからです。もちろん三重県内にも数多くあります。よってそれらを訪れた場合は、また表記を変えなくてはなりません。
この神戸とは神社領の事をいいます。鈴鹿市神戸をはじめ三重県下にある神戸の地名の大半はみな伊勢神宮領なのです。

鈴鹿市神戸は伊勢参宮街道の宿場町として、また江戸期には本多家1万5000石の城下町として栄えた町であり、それが現在の鈴鹿市誕生の土台になっています。

戦国時代、この地に神戸城を築いた神戸具盛は、伊勢街道が城下を通るように改め、町の繁栄を図ります。その後神戸具盛は、伊勢に攻め入った織田信長と和睦し、信長の三男信孝を養子に迎えます。織田信孝が城主になると、楽市楽座の許可や十日市、伝馬制の整備により城下はいっそう繁栄、この地方の政治・経済の中心都市へと発展しました。
十日市は5と10の日に開かれた六斎市で、やがて地名となり神戸城下の中心となります。現在の神戸2丁目付近が当時のその場所です。
十日市町は神戸宿の中心でもあり、本陣や問屋があり、隣接する常磐町には19軒の旅籠屋が軒を連ねました。神戸8丁目から神戸2丁目にかけての旧街道沿いに伝統的な家並みが残されていますが、連続性はそれほどありません。かつての旅籠が今なお数軒現役で旅館を営んでいました。

関ヶ原の戦い後の神戸には、外様大名の一柳直盛が5万石で入封しますが、すぐに伊予西条へ転封し、その後石川家1万石、本多家1万石など譜代大名が伊勢神戸に封じられます。この時期の神戸は12町からなり、家数582軒、人口は2520人で、武家屋敷は40軒、武士人口は150人でした。
本多家はその後1万5000石に加増のされ、7代140年間この地を支配して明治を向かえました。初代藩主本多忠統は幕府要職、若年寄に就任していた為に、1万石あまりながら城主格であり築城を許されていました。


 
 
 
鈴鹿市の酒蔵          
清酒 「さざれ石」 十一屋野田商店 鈴鹿市神戸8-25-22 0593-82-0011
清酒 「喜代娘」 清水醸造 鈴鹿市若松東3-9-33 0593-85-0011
清酒 「御蔭石」 鈴鹿酒造 鈴鹿市若松北1-26-24 0593-85-0202
清酒 「勢開」 森田酒造 鈴鹿市南玉垣町2447-1 0593-82-0050