五十鈴川に架かる宇治橋の大鳥居の先は神宮内宮の神域。その宇治橋のたもとにある宇治町は内宮の門前町として栄えた町で今在家町と中之切町からなります。
伊勢神宮の信仰を広めた下級神職・御師の館が幕末頃には今在家町に20軒、中之切町に17軒と立ち並び、これらの御師が神宮にか代わって神楽をあげていたことから俗に「おはらい町」と呼ばれはじめました。しかし明治新政府はこれを廃止したため、現在御師の館は残っていません。
1980年に「内宮門前町再開発会議」が結成され町並み保存運動が起こります。1989年には「伊勢市まちなみ保全条例」が公布され、1992年より町並みの整備が始まりました。
電柱が取り除かれ、道路には石畳が埋め込まれ、街並みに隣接する形で江戸から明治の伊勢路の街並みを再現した「おかげ横町」が誕生します。
百五銀行と五十鈴川郵便局も伝統的な意匠で建てられ、町全体がテーマパーク的な印象を受けますが、従来からの街並みも入り交ざる「おはらい町」の試みは、今後全国各地で行われるであろう街並み造りのモデルケースになるではないかと思います。
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