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  射和
いざわ
 伊勢白粉の加工で財を成した射和商人の町
 三重県松阪市射和町

 構成:町家・豪商屋敷 ■ 駐車場:なし
 
 

松阪の中心市街から南の郊外へ約7kmほどいった櫛田川の両岸には、かつて伊勢白粉と呼ばれもてはやされた水銀鉱石で財を成した地域があります。
櫛田川右岸の集落射和と中万。 このうち射和は古くは伊射波、伊佐和とも書かれ、鎌倉時代には関所が置かれていました。
丹生(にう)の鉱山で産出した丹砂(水銀鉱石)は、この射和や中万に持ち込まれ、軽粉はらや(伊勢白粉)などに加工されて移出されました。最盛期の室町期には釜元(製造場)が83箇所もあり町場が形成されていたといいます。
軽粉は美容薬・皮膚病などの外用薬、化粧料、駆梅剤、堕胎剤の原料として用いられていたもの。江戸期以降も繁栄は続き、松阪商人発祥地の一つでもある射和の商人を数多く輩出しました。富山家、家城家、山本家、長井毛、小野寺家、国分家などは遠く関東・奥州まで出店を広げたと言われています。
現在の射和には往時の活気はまったくありませんが、豪商国分家邸や竹川家邸の射和文庫など松阪商人の屋敷を中心とした古い商家があつまる一画があります。そのうちもっとも目を引く広大な敷地を持った屋敷が竹川家邸です。射和文庫は幕末の竹川竹斎が収集した書籍類約1500種、器物類約50点が保管されている、県下の歴史を知る上でも欠かすことの出来ない貴重な資料となっています。