亀山市は江戸時代、譜代大名の石川総慶が6万石で入封し、以後11代126年間、明治維新まで続いた伊勢亀山藩の城下町で、城下を通過する東海道筋には46番目の宿場町が置かれていました。亀山城は天正18(1590)岡本宗憲が築いた平山城で、堅牢さと優美さを誇り、その蝶の群れが舞う姿にたとえられて「粉蝶城」とも称されましたが、現在は石垣と天主台、多門櫓を残すだけです。亀山城址の南側、西丸町はかつての家中屋敷が置かれた場所で、亀山藩家老加藤内膳邸の海鼠壁を応用した造形が施された白壁長屋門と土蔵が残されています。
亀山城下の町人町は本町と、宿場町を形成した東町・西町で、それぞれが亀山宿の問屋業務を交代で行っていました。本町周辺は開発が進み、わずかに平入り様式の街並みが見られますが、当事の建物は残っていません。
かつての宿場町である東町は商店街となり、こちらも姿を残していませんが、「池の側」の近く、県道と交差する旧東海道の幕坂に立派な商家屋敷を見つけました。
東町には、陣・脇本陣が置かれていました。もちろん残されてはいません。
その先、県道を挟んで坂の桝形を登ると台地上の西町に続きます。わずかに連続した千本格子の町家や商家の街並みが残りますが、普通の住宅街になっています。
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