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  名張
なばり

 初瀬街道の宿場町・名張藤堂家の陣屋町

 三重県名張市元町・新町・松崎町・上八町

 構成:商家・町家・酒蔵・武家屋敷・土蔵 ■ 駐車場:簗瀬宿資料館・他
 
 
名張は江戸時代に名張陣屋の城下町(陣屋町)、初瀬街道の宿場町として栄えた町でした。宿場町の方は名張郡柳瀬村にあった為に柳瀬宿と呼ばれていましたが、陣屋町としては通称広域地名の名張の名が一般的に用いられていました。

名張は古くから街道の要衝であり、古代官道の名張駅家が置かれていました。名張は飛鳥の都から東国へ通じる東海路と伊勢神宮へ至る伊勢路の分岐点でもありました
が、都が平城京に遷都すると共に、東海路は伊賀の北へと移動しました。

近世城下町の基礎は豊臣秀吉の時代に、伊賀国守として入国した筒井定次の重臣松倉勝重によって形作られました。江戸時代に入り、筒井氏の改易後、伊賀・伊勢国守として藤堂高虎が伊賀上野へ入ります。後に高虎は安濃津(津市)に移り津藩が成立しました。この際、藤堂家に養嗣子となった藤堂高吉が、相続放棄の代償として1万5000石で名張に配され、以後明治まで名張藤堂氏の支配が続きました。ちなみに名張藤堂家は大名ではなく、津藩藤堂家の陪臣であり藩ではありません。
名張陣屋は近鉄名張駅前の高台にある名張小学校の場所にあり、その周りから柳原町にかけてが家臣屋敷でした。陣屋には城郭は築かれませんでしたが、町民は「お城」と呼んでいました。廃藩置県後名張陣屋は取り壊されますが、一部が藤堂家の生活の為に残され、今に残ります。
一方町人町・宿場町として初瀬街道沿いに「名張八ヶ町」が整備され、多くの茶店や旅籠の他、鍛冶町の本陣(辻家)、松崎町の脇本陣(小竹屋)などがありました。

現在の名張は大坂まで1時間の通勤圏となり、ベッドタウンとして市街化、宅地造成が進み、さらに旧市街地から離れた国道沿いに近郊大型店舗が展開しています。
その為、旧市街地は閑散としながらも、名張川沿いの新町と本町に造り酒屋を中心とした商家の家並みが残り、それらを生かし「やなせ宿」として整備が進められています。碁盤の目のような区割りは残りますが、古い町並みはそれほど多くは残されていません。


新町・やなせ宿通りの北村酒造
本町の木屋正酒造周辺の町並み
上八丁の町並み
 
名張の酒蔵          
清酒 「高砂」 木屋正酒造 三重県名張市本町314-1 0595-63-0061
清酒 「旭金時」 北村酒造 三重県名張市新町156 0595-63-0010
清酒 「瀧自慢」 瀧自慢酒造 三重県名張市赤目町柏原141 0595-63-0488
清酒 「参宮」 沢佐酒造 三重県名張市夏見944 0595-63-0430
清酒 「天下錦」 福持酒造場 三重県名張市安部田3905 0595-63-0323
清酒 「東海松」 松山酒造場 三重県名張市蔵持町里2743 0595-63-0168