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  滝原
たきはら
 熊野街道沿いに発達した滝原宮の門前集落
 三重県度会郡大宮町滝原 【三重県度会郡大紀町滝原】2006年合併

 切妻妻入り民家土蔵 ■ 駐車場:あり(JA)・滝原宮P・道の駅:奥伊勢木つつ木館

 
 
城下町松阪から熊野へ至る「熊野街道」は現在の国道42号にほぼ踏襲し、宮川沿いに栃原・三瀬と南下して熊野灘の玄関口である紀伊長島へ至ります。道は大台町の中心部から折れ、今度は大内山川沿いに進みます。
その途中、大宮町には伊勢神宮と同等の格式を持つ滝原宮があります。大宮町という地名から伊勢国一宮かと推測したのですが、これは大間違い。伊勢の一宮は鈴鹿市にある猿田彦大神を祀った「椿大神社」(つばきおおかみやしろ)がそれで、そもそもこの大宮町という地名は、大内山川と宮川の合流にちなんで、それぞれの頭文字を取って付けられた名前であると言います。
この滝原宮は宮号を称する神宮所摂としては最も古く、8世紀に大社に列したと言われ皇大神宮(内宮)別宮として天照大神が祀られています。年間降雨量が最も多いと言われるこの地位において、鬱蒼と生い茂る森林と毛細血管の様に沸き出される支流や小川はいたるところで中小の滝を造り、滝原の名の由来を今なお残しています。
はるか古代に「大河の滝原の国」の美しい山間のこの地に建てられた、唯一神明造りの滝原宮・滝原別宮の2殿は、本宮同様20年ごとに式年遷宮(移築新造)が行われるのです。
この滝原宮の門前集落は熊野街道の旧道沿いに街村の形態で家並みが残り、往時の面影を色濃く残しています。滝原は熊野街道における正式な宿場町ではありませんでしたが、街道沿いにはいくつもの茶屋集落があったとされ、滝原もその一つでありましたが、滝原宮参詣の紀州公や要人も宿泊する本陣の役割も有し、他の街道集落とは一線を画していた事は現在の町並みからも十分伺い知る事ができます。