東海道は大井川を越えて金谷宿を出ると「小箱根」と呼ばれた金谷坂、菊川坂、そして古くから箱根峠や鈴鹿峠と列んで、東海道の三大難所として知られる「小夜の中山」への道が続いています。今でも国道1号線の旧道を走るとその厳しさを実感できます。
日坂宿は山間の小さな宿場町で幕府直轄でした。規模は坂下、由比に続く東海道で3番目に小さく、逆川の段丘上に弧を描いて形成され、東西6町半
(約700m)、東から上町・本町・下町・古宮町と続きますが上町には人家がありませんでした。家数168軒・人口750人で本陣1軒・脇本陣1軒・問屋1軒。これらは本町にあり、本陣は片岡家が代々世襲して屋号を「扇屋」としていました。旅籠33軒(大3・中22・小8)です。
現在、各家々が江戸時代の屋号を掲げていますが、これは住人の多くが宿場町当時から変わらないという事だそうです。川坂屋(大旅籠)や萬屋(旅籠)は修復され、当時のままの姿で残る藤文や角長など地元振興会や住民によって保存運動が進められていました。
|