東海道21番目の宿場町である岡部宿があった旧岡部町は、静岡市と藤枝市の間に挟まれた人口12,000人ほどの小さな町でした。
岡部宿は宇津の谷峠を控えた谷口の宿場町として、鎌倉期からすでに宿場町として存在していましたが、正式な宿場町になるのは慶長20年(1615)です。参勤交代の需要に対応する為に内谷村新町が加宿に指定され、問屋場が岡部宿本町と内谷村新町の2ヶ所に置かれていました。宿の規模は南北13町50間余、家数487軒・人口2,322人(加宿を含む)。本町に本陣2軒・脇本陣2軒・旅籠屋27軒(大3・中7・小17)と中規模の宿場町だったようです。
岡部宿の次ぎが藤枝宿で、その次ぎが大井川の川待ちの宿でもある島田宿ですが、増水で川越えが困難になるとこの岡部宿も客引きを行い賑わいました。
明治22年、東海道線が開通したますが、この区間は険しい山間部を避けて、海岸線近くのルートで敷かれた為に、取り残された岡部宿は衰退して農業を中心とした町へと変わります。
やがてモータリゼーションの時代が訪れると、旧東海道は国道1号線として整備が始まり、岡部市街も拡張、直線化されていきます。これにより岡部宿の本陣や脇本陣、大型旅籠など
は全て失われ、現存するのは北の外れに建つ旅籠1軒だけとなってしまいます。
しかし、国道1号線もバイパスした南半分は商店街通りとなり、新しい家に建て替えられているものが大半ですが、いくつかの古い建物は修復され、景観整備と共に保存されているようでした。
|