伊豆半島と言えば温泉と海の幸くらいしか思いつかず、半島の先端に位置する下田は伊豆大島の玄関港くらいの認識しかありませんでした。しかしあらためて歴史を振り返って見ると、下田はペリー率いる黒船の来航によって200年にも及ぶ鎖国に終止符を打ち、日本で最初に開港した港だったのです。
アメリカ初代総領事ハリスは下田の玉泉寺を領事館とし、ここに日本で最初の星条旗が掲揚されました。下田は古くから、東西を結ぶ海上航路の風待ちの港で、江戸時代に入ると下田奉行が置かれ東海最大の浦方固め、つまり海の関所として江戸と上方を結ぶ総ての船舶の荷物がこの下田で改められました。「出船入船三千隻」と称され下田は大いに繁栄したといいます。
豊臣秀吉の時代、下田を治めた戸田氏によって城下町として町割りが行われ、碁盤の町並みが出来上がりました。下田を始め南伊豆地方に多く見られるナマコ壁の街並みは、安政元年(1854)の大津波による災害復興時に多く取り入れられたものです。当事は建築費のコストダウンが目的でしたが、現在ナマコ壁を施工できる職人はほとんど残されていません。
現在下田は、伊豆半島南端の人口25,000人の都市で、その中心港湾地域でもあるかつての港町地区には、古い並みはあまり残されていませんが、現在の区画で下田二丁目付近に伊豆地方発祥とも言われる海鼠壁の土蔵造り商家が点在する形で数多く見ることができます。かつての廻船問屋「鈴木家邸」はその集大成です。
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