枚方は(ひらかた)と読み、京都、大阪双方のベッドタウンとして発展が著しい大阪の北東端の町。
枚方の中心部である枚方市駅の隣りにある枚方公園駅は、沿線最大の遊園地として休日は家族連れで大変賑わうのですが、遊園地のある南口とは逆側の、地元の住民しか利用しない北口からほんのわずかな場所に、白壁と千本格子の町並みがひっそりと残されています。
ここはかつて淀川河港と京街道が合流し、多くの人や物資で賑わった枚方宿があった場所でした。堤町から枚方市駅北口にそびえるショッピングモール裏手の岡本町までのおよそ800mの区間に、連続性は無いものの伝統的な商家が立ち並び往時を偲ばせています。
信長亡き後、国内をほぼ統一した豊臣秀吉は、大坂城と京を最短で結ぶ「京街道」の整備に着手します。”文録堤”と呼ばれた淀川河川堤防を築き、その堤防上に京街道は通されました。京街道は東海道の延長道として京・大坂を結ぶ大動脈となります。
枚方は、古くから京都・大坂の中間点に位置する交通の要衝であり、年貢米や諸物資が集散して栄えた在郷町に「枚方宿」が設けられると、「馬百匹に飯盛女百人」とはやされるほどに繁栄していきました。
江戸時代になっても枚方宿の保護政策は引き継がれ、本陣、脇本陣が置かれます。
枚方宿は水陸交通の要衝であり、一大河港町でもありました。街道に沿って立ち並ぶ豪商の屋敷の裏には淀川に通じる石垣の水路が設けられ、直接舟での出入りが可能だったといいます。しかし現在その遺構は残されていません。
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