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古くから要衝の地であった茨木は中世の城下町として始まり、江戸時代以降は宿場町・在郷町として栄えた町でした。
茨木城は室町時代の築城とされ、度重なる戦火を切り抜けてきましたが、江戸時代になると一国一城令によって破却されてしまいました。
現在の茨木小学校がかつて茨木城が築かれていた場所で、その西門脇には茨木城跡の碑が立っています。
江戸期以降の茨木は、大坂から高槻に至る高槻街道沿いに町場が形成され、やがて宿場町として賑わいましたが、高槻街道の道筋が変更されると在郷町として再出発し発展していきます。
現在の市街化した茨木の中心部に、古い街並みは完全に失われたかに思われますが、
僅かながら市内の広範囲に点在してその姿を残しています。
まず阪急茨木市駅北口の大手町に立ち並ぶビルの裏手に、白壁の塗籠造りに千本格子の切妻平入町家形式の家並みが残されています。その一画にはかつて昔ながらの銭湯「敷島湯」がありましたが、数年前に取り壊されてしまいました。
次に本町商店街を抜け、中尾酒造のある上泉町を目指します。本町商店街にはアーケードや看板建築に攻められながらも、重厚な趣のある商家が残されていました。
中世に茨木城が築かれていた片桐町の茨木小学校を中心としたこの地域は、城下町特有の複雑に入り組んだ町割りが残され、狭い一方通行の道が踏襲しています。
その為、かつての町人町だった上泉町周辺には今も多くの旧家が残され、中でもこの地で古くから酒蔵を営む中尾酒造周辺には伝統的な厨子二階に塗籠造りの商家が数多く見られました。
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芳泉町の町屋敷 |
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大手町の町並み・この先の敷島湯はもう無い |
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