大阪の中心部から約25km。府の北西部に位置する北摂山地の谷口に広がる箕面は、大阪近郊のベッドタウンとして13万人の人口を抱える市であるとともに、高級住宅地としても発展してきた町です。そしてもう一つ、箕面駅前から箕面川に沿って渓谷を分け入っていった先には、中世からの観瀑賞楓の景勝地として著名な箕面滝や、山岳修験の霊場ともされる滝安寺(箕面寺)などを含めた「箕面山」があります。
大阪近郊にまさか、このような自然豊かな信仰の地があるとは、今までまるで知りませんでした。この渓谷を含めた山間部は、昭和42年(1967)に「明治100年」を記念して、東京都の「高尾山」とともに「明治の森箕面国定公園」に指定されました。
この箕面という地名は、滝の流水が「箕のおもて」に似ている事からとも、「水尾」に由来するとも言われています。
奈良時代に山林修験者によって開基された滝安寺(箕面寺)は、修験道の霊場で、役小角の開創にかかると言われています。
平安時代から鎌倉時代にかけては、信仰と滝と渓谷に代表される景勝地として都の貴族にも親しまれ、和歌にも詠まれています。江戸時代は元禄のころになると、箕面山は庶民の間にも広まり、京や大阪をはじめ近郷近在から数多くの人々が箕面滝や紅葉を求めて押し寄せました。来訪した文人墨客や後世に名をとどめた数々の著名人によって、その様子が語られています。
現在の阪急箕面尾線の前身である「箕面有馬電気軌道」は明治43年(1910)に箕面山観光の為に敷設されたもので 、終点の箕面駅から北へ登る滝道の左右には今も土産物店や旅館が並びます。駅前周辺はまさに地方の観光地そのもので、とても大阪近郊のベッドタウンや高級住宅地とは思えない様相にも驚かされます。
この「箕面有馬電気軌道」こそが、現在の阪急電鉄のルーツそのもので、阪神エリアでの路線参入を始めた大正7年(1918)に、「阪神急行電鉄」に改称。そして現在の「阪急」に至ります。
大都市近郊に位置し、鉄道で日帰り観光が可能になった現在、この景勝地に宿泊をしてまで訪れようという観光客はいなくなり、旅館やホテルの経営にも影響を与えています。渓谷の中の滝道沿いには明治、大正時代のレトロな旅館建築が残されていますが、それらは廃業して廃屋となってしまったものの、その価値を惜しむ人々によって、レストランやホテルとして再び火が灯され始めました。
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