大阪の難読地名の一つ、百舌鳥(もず)という町は堺市の中央部、仁徳天皇陵のすぐ東側の地域にある町です。漢字3文字ですが、読みは2文字。百舌鳥とはスズメ科の小鳥のモズの事。鳥名は百舌の2文字で「もず」とも書きます。
モズという知名度のある鳥なので、地名としてもすんなりと受け入れられたのかも知れません。ちなみに、このモズは大阪府の府鳥でもあったりします。
地名の由来は定かではありませんが、古くは石津原と呼ばれていたこの地は、中世には”万代”とも書かれていて、モズが多く棲息していたからとも言われています。
ちなみに仁徳天皇稜の正式名称は「百舌鳥耳原中陵(もずみみはらのなかのみさざき)」といいます。広く語り継がれている逸話の一つに、暴れ狂って突進してきた鹿を、一匹のモズが鹿の耳から進入してこれを撃退。この出来事から仁徳天皇がこの地を百舌鳥耳原(もずみみはら)と命名したと言われています。
後付け感が否めませんが、奈良時代からすでに見える地名で、この地域は和泉国大鳥郡に属し、百舌鳥の周辺にも鳥にちなむ地名が数多く存在します。
この百舌鳥町は、堺市を起点に河内長野を経て高野山へ至る、西高野街道沿いに発達した街道町で、現在の国道310号線がほぼそれにあたります。今回訪れたのは、高野街道沿いの中でも最も古い町並みが残る中百舌鳥町です。
かつてこの地域に多くの富をもたらした「河内木綿」によって築かれた、武家屋敷を思わせるような長屋門や重厚な佇まいを残す旧家が街道沿いに立ち並んでいました。中百舌鳥町の西に接する百舌鳥梅北町には、大規模な庄屋屋敷である高林住宅があり、この建物は国の重要文化財に指定されています。
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