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恩智町
おんじ
 東高野街道沿いに発展した「河内木綿」産業の中心集落
 大阪府八尾市恩智中町
商家・土蔵・古民家  なし  近鉄大阪線・恩智駅
 
 

恩智町は八尾市の南東部、奈良県との県境である生駒山地の一つ、高安山麓の扇状地上斜面に形成された集落で、東高野街道が集落の中心を南北に走っています。地名の読みは「おんじ」ですが「おんち」とも読み、近鉄大阪線の駅名は「おんぢ」となっています。

江戸時代に綿花の栽培で栄えたこの地域は、やがて木綿織も盛んになり「河内木綿」のブランドで名を広めます。そしてこの河内木綿産業の中心が高安山麓の村々で、この地域の木綿は特に「山の根木綿」と呼ばれていました。また同地区の木綿問屋・仲買組織を「山の根き組」といいます。

莫大な富をもたらした木綿産業も、明治期以降になると近代繊維の前に衰退し、代って高安山山麓では果樹や園芸農家・植木造園業が盛んになります。東高野街道を踏襲する国道170号線沿いと恩智神社参道の辻には、かつての木綿問屋と思われる旧家の建物が目を引きます。またこの恩智神社参道沿いにも伝統的な佇まいの豪農や商家の建物が多く残されていました。多くはブロック塀に囲まれているため、景観的には難があるものの、河内木綿が全盛だった時代の繁栄ぶりを伺い知ることができます。

恩智神社参道にある恩知城址は鎌倉時代に楠木正成八臣の一人、豪族恩智左近満一の居城跡で、かつてはこの場所に小学校が建てられていました。現在も古い煉瓦の校門が残ります。

そしてその先の恩智神社は大和国の総鎮守で、創建は大和時代の雄略年間(470年ごろ)と言われており、延喜式内名神大社にも列する由緒ある神社です。