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  信達
しんだち

 「角屋造り」の民家が並ぶ中世からの宿場町

 大阪府泉南市信達牧野・信達市場
町家(角屋造り)・長屋門(旧本陣)・土蔵  なし  JR阪和線・和泉砂川駅
 
 

古くは熊野詣、そして近世は紀州街道の宿場町として発展し、今も街道沿いに「角屋造り」と呼ばれる独特の家並みが残る信達の町は泉南市の中央部付近、信達市場、信達牧野にまたがっています。

信達は和歌山との県境近くにある町で、古くから熊野詣での為の熊野街道が通り、街道沿いには熊野九十九王子社の信達王子社と一之瀬王子社がありました。

中世には紀州根来寺の荘園として栄え、この時期に本格的な宿場町が整備されます。市場の地名からもこの場所では市も開かれていたものと思われます。しかし、戦国期になると織田信長と根来寺の熾烈な戦いの末に、泉南地方は焼け野原となり寺社もほとんど失われてしまいました。

やがて江戸時代になると、熊野街道は紀州徳川家の参勤交代の紀州街道となり、紀州藩の支援のもと中世からの信達宿が再建され、本陣や旅籠などが置かれました。信達宿の中心であった市場村には人馬継立所が設けられ、本陣は小川家、その後は角谷家が勤めます。この角谷家宅は今も現存します。

信達宿は半農半商で営まれ、農家では米の他に綿作が盛んでした。信達の民家の特徴である「角屋造り」は入母屋造りの妻側の下に一段低く平入りの屋根を重ねた様式で、農家の間取りから発展した町屋形式と言われており、この事からも街村形式の農村から発展した宿場町であることが伺えます。
ちなみに旧本陣を勤めた角谷家は長屋門を持ち、主屋はごく一般的な妻入り造りでした。