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総持寺
そうじじ
 小さな丘の上に佇む高野山真言宗総持寺の門前集落
 大阪府茨木市総持寺
町家・土蔵  総持寺・駅周辺施設  阪急京都線・総持寺駅
 
 
阪急京都線の茨城市駅から京都方面へ一駅目、総持寺駅を下りて徒歩五分。町の名にもなっている総持寺の山門が小高い丘の上に堂々と威容を誇ります。太陽の向きによっては金色にも見える朱色の山門です。地名にもなっている総持寺は、高野山真言宗のお寺で西国三十三観音霊場・22番札所にもなっています。平安時代に藤原山蔭が千手観音様を御本尊として創健したと伝えられ、「亀の恩返し」のお寺としても知られています。

千年以上の歴史を誇る総持寺ですが、戦国期に織田信長によって焼き尽くされる以前は、今よりもだいぶ規模の大きな寺院だったといわれます。その後、豊臣秀頼によって再建され今に至ります。

総持寺という地名は南北朝期にすでに見られますが、寺内町を形成していたわけでもなく、寺院を中心とした近郊農村だったようですが、江戸時代の資料によると門前に参詣客を相手とした宿が数多くあったようです。

幹線道路から離れた、小高い丘の上に総持寺の古い町並みが残されています。大都市近郊の駅前に近い立地でありながら、地形的に周辺から隔絶されているため、非常に静かで時間の流れも周囲とは異なるような錯覚を覚えます。総持寺を起点に東へ200mほどの狭いエリアの中に複数の大きな豪農級の屋敷を中心として、細い路地裏にも漆喰の土蔵や虫籠窓を設えた伝統的な佇まいの町家などが整った状態で残されている事にも驚きます。

総持寺の町並みを歩き、再び坂を下って”下界”へと下りていくと、普通の駅前通りの喧噪の中に戻りました。
 
 
 
 
 
高野山真言宗総持寺の山門